大石病院通信

広島県福山市川口町の大石病院です

インスリン物語

 11月14日は世界糖尿病デー。今年はインスリン発見から100年目にあたり、11月14日はインスリンを発見したカナダの医師バンティングの誕生日です。バンティングとベストが夏休みの間に犬を使った実験を繰り返しインスリンを発見したというエピソードは、糖尿病治療に携わる私たちの間ではとても有名な話です。

 

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 この写真の2冊の本はどちらもインスリン発見にまつわる物語が書かれています。右の古い本「インシュリン物語」はインスリン発見40年を記念してカナダの糖尿病研究者であるG.レンシャルとG.ヘテニー、そして医学史学者W.フィーズビーによって書かれた本を、二宮陸雄医師が翻訳し昭和40年に出版されたものです。このころはインスリンのことをインシュリンと呼ぶのが普通だったのですね。

 写真左の「インスリン物語」は二宮陸雄医師がインスリン発見80年を記念して新装復刻版として書いたものです。インシュリン物語から40年が経っておりその間に進んだインスリンの研究や発見についても書かれています。

 実はバンティングが膵臓からインスリンを発見するよりももっと前に、糖尿病と膵臓の関係に気づいた科学者がいました。1889年、ストラスブルク大学のミンコフスキーが膵臓を摘出した犬が糖尿病になることを発見したのです。しかしそれがなぜなのかまでには迫れずにいました。

 その2年後の1891年11月14日に生まれたバンティングは成長し医師を目指しトロント大学に進学しました。しかし第一次世界大戦勃発のため卒業が早められ軍医となり戦地に送られてしまいます。学びの場を突然奪われてさぞかし残念だったことと思います。しかしバンティングは従軍中に整形外科としての腕を磨くことができました。そこで帰国後はその腕を生かして整形外科医として開業しますが、残念ながらクリニックはあまり流行らなかったようです。暇な時間は医学図書館で勉強したり生理学と解剖学の実験助手としての仕事をしたりしていました。

 そんな中、1920年10月に発表されたバロン博士の論文「ランゲルハンス島と糖尿病との関係、特に膵臓結石の症例をめぐって」に目が留まりました。そこにはミンコフスキーの実験も紹介されていて「実験をもう少し続けていたならば、糖尿病を軽快させるような物質を発見し抽出したのではないだろうか、という示唆」が述べられていたのです。これを読んでバンティングはインスリン抽出のアイディアを思いつき、興奮してすぐにトロント大学のマクラウド教授をたずねて実験をしたいと申し出ました。マクラウドは糖代謝の権威で、これまで約30年の間多くの科学者が同じように考えて実験をくりかえしては失敗に終わっていることをよく知っていたので、そのアイディアに期待は持ちませんでした。それでもなんとかバンティングは実験室を準備してもらい、また大学で生理学を学んでいたベストが助手となりました。
 こうして1921年の夏に2人は実験にとりかかり、見事インスリンを発見したのです。

 そしてその後のスピード感はすごいものがあります。1922年1月には初めての患者にインスリンが投与されました。これは糖尿病の犬にインスリンが投与されその効果が確認されてからわずか20週間後のことです。そして世界中からこの薬を求める声が集まってきました。それまでは糖尿病は死に至る病で治療法はなかったのです。

 バンティングが論文を読んでアイディアを思いつき、その1年後にはそれまで30年間誰も成功しなかったインスリン抽出に成功し、その成功から20週間後には治療に使われ、更にその1年後の1923年にはインスリン発見の業績でノーベル賞を受賞しました。

 このノーベル賞にはバンティングとマクラウドが選ばれました。ここでなぜベストが選ばれなかったのか、バンティングは納得がいかなかったようです。その辺の物語はまたの機会とさせていただきましょう。